先日TechLION vol.25に登壇して「15世紀の印刷革命から考える21世紀の出版」という大仰なタイトルで話をしてきたので、その時の動画・スライド・発表用のメモをまとめておく。
まずは、YouTubeにあがっているプレゼンの動画。私の発表は、29:30くらいから。
次がスライド。ドワンゴのサービスであるニコナレにアップしてある。
最後に当日参照していた発表用のメモ。
■前置き
まず、印刷革命に関わる歴史はかなり複雑で、単純なものではない。さらに、資料が乏しく、よくわからないことも多い。文献によって意見がわかれているものもある。このため、今回お話するのは、あくまでも鈴木嘉平の視点から見た歴史の話でしかない。鈴木嘉平の主観で、枝葉を切り落とし、話を単純なストーリーにしているので、興味を持った方は自分で調べて欲しい。
また、今回はヨーロッパの本の歴史だけを取り上げるので、中国・韓国・日本などの話は無視する。印刷・出版の発展の仕方が違うので、同時に語るのは無理。
■簡単な本の歴史
紀元前3000年頃からエジプトでパピルスが使われるようになる。パピルスは葦に似た植物で作られたもので、いわゆる紙とは違うもの。折りたたみにくく、巻物として用いた。これらは、ギリシア・ローマでも用いられた。
2世紀から4世紀にかけて、冊子の形の本が作られるようになる。冊子には羊皮紙が用いられた。羊皮紙は、子牛や羊の革をなめして伸ばしたもので、光沢があり丈夫だった。羊皮紙は、中世まで広く使われた。
7世紀から15世紀にかけて、写本が作られた。
15世紀半ばに活版印刷技術が開発され、活版印刷本が作られるようになる。初期活版印刷本をインキュナブラと呼ぶ。
活版印刷は、15世紀末までにヨーロッパ中に広まり、以後500年に渡って栄えた。
■パピルスの巻物
パピルスに書かれた死者の書(エジプト)
パピルスの巻物を読む女性
■写本
豪華な装丁
文字も絵もすべて手書き
■写本の作成
写字生が書見台の見本を見ながら、一文字ずつ羽ペンで羊皮紙に書き写していく。間違えたときは、左手に持ったナイフでインクをこそげ落とした。苦行とも言うべき作業で、1冊の本を写すのに数ヶ月から数年を要した。写字生の多くは、修道院の修道士であった。
■写本の特徴
すべてが手作りで、文字は写字生が写し、飾り文字や彩色画は専門の画家が1ページごとに描いた。革を用いた装丁も、専門の職人が彫り物や箔押しなどをして豪華に仕上げた。
完成した写本の多くは判型が大きく、重さが20Kgを越えるものもあった。
1冊の写本の制作には数ヶ月から数年を要し、値段は現代の金額で数千万円もした。
写本を注文し、所有できたのは、教会・王侯貴族・大学などで、権威の象徴でもあった。
写本はすべて1品ものだった。
写本は、書見台に載せて読むものだった。神父が教会で説教を行う際には、書見台に聖書を載せ、信徒に向かってこれを読んで聞かせた。盗難を防ぐために写本は普段は鍵のかかる図書室に保管され、書見台に載せて説教を行う場合には鎖で書見台につないでおくこともあった。
■活版印刷の発明
1450年ごろにドイツのマインツでヨハン・グーテンベルクが活版印刷技術を発明した。
1454年に四十二行聖書を完成させる。最終的に180部を刊行したとされる。活版印刷を使ったわりには部数が少ない。写本同様の飾り文字・彩色画・豪華な装丁などを手作りで施していたためと思われる。
四十二行聖書は最初の活版印刷本ではない。それ以前にもグーテンベルクは活版印刷本を作っていた。今回はこれらの本については取り上げない。
■グーテンベルクの印刷機
テーブルの上に載せられた活字にインクを塗り、紙を載せ、プレス機で圧力をかけて印刷する。印刷機の元になったのは、ワインを作る際に葡萄を絞るのに使われたプレス機と言われている。
■四十二行聖書
上下2巻からなり、総ページ数は1200ページを越える。重さは1冊が7.5Kgもある。美しい彩色画・飾り文字が入れられ、装丁も豪華なもの。
■インキュナブラ
グーテンベルクの四十二行聖書以降1500年までに制作された活版印刷本のことをインキュナブラと呼ぶ。インキュナブラとはラテン語でゆりかごを意味する。
この時期の活版印刷本は、写本と見分けがつかないくらい豪華な彩色・装丁が施されていた。
■写本と四十二行聖書の比較
左が写本、右が活版印刷による四十二行聖書。見分けがつかない。
この時期、活版印刷本は写本に憧れていると言われた。
■アルドゥス・マヌティウス
アルダスとも言われる。グーテンベルクから約50年後に、アルドゥスは活版印刷本を刷新する。商業印刷の父とも呼ばれる。
1453年にトルコがコンスタンティノープルを占領し、ギリシア人学者の多くがヴェネチアに亡命する。アルドゥスは元学者で、ヴェネチアに印刷所を設け、亡命ギリシア人と協力してアリストテレスをはじめギリシア語の本を数多く出版した。
■アルドゥスの発明
本当にアルドゥスが発明したのかわからないが、そう言われているものを列挙した。
文庫本・ペーパーバックの元祖になったと言われる小型本を作った。
初期の活版印刷の活字は写字生の書いた文字の書体をまねたものだったが、活版印刷に相応しい繊細なイタリック体を生み出した。イタリック体を用いた本は、ヨーロッパ中で好評を博した。
10万部を越えるベストセラーを生み出した。
句読点を使い始め、ピリオドとコンマの父とも呼ばれた。
ページ番号を使い始めた。これによって、目次・索引などの作成が可能になった。
■印刷革命
書物の量産化によって、本を調べるために放浪の学徒となる必要はなくなった。かつての学者が一生を旅に費やしてようやく読むことができた書物を自分の書斎で数ヶ月の間に読むことが可能となった。
印刷の正確な複写能力は、算術・幾何・音楽・天文学等に多くの変化をもたらした。写本は不正確だった。
印刷術は、版を重ねることで絶えず書物を改良改訂することを可能にした。写本は写字生によって写される際に誤記が起こる可能性が高く、写し取られるたびに内容が劣化していった。
活版印刷は、西欧文明史における知的生活様式に最も急進的な変化をもたらした。その影響は人間生活のあらゆる部門におよんだ。
活版印刷が発明されたことにより、科学・文化・芸術が急速に発展し、ルネッサンスが加速され、宗教改革が起こった。この現象を印刷革命と呼ぶ。
■今何が起きているか
話を現代に移す。20世紀から21世紀にかけて、私達が生きている時代に何が起こったのか。
コンピュータが発明され、コンピュータを用いたワードプロセッシングやハイパーテキストなどの構想が生まれた。
パーソナルコンピュータが発売され、個人の知的生産に変化が起こった。
グラフィックユーザインターフェースを備えたパソコンとDTPソフトウェアの登場により、出版が身近になり、同人誌などを手作りできるようになった。
マイクロソフトが提唱したマルチメディアは、CD-ROMに文章・画像・動画・音楽をデータとして収め、これらをハイパーリンクで繋いだもの。文章中の人の名前をクリックするとその人のプロフィールが表示されたり、曲の名前をクリックするとその曲が流れたりするというものだった。商業的には大失敗。アスキーをはじめ多くの出版社が大赤字をだした。
マルチメディアの商業的失敗がトラウマになって、後の電子書籍ブームの際には多くの出版社が参入に二の足を踏んだ。
インターネットが一般に開放され、Webが生まれ、ブログが登場して、紙の本以外の出版が可能になった。ただし、出版関係者の多くは、Webを出版とは認めなかった。
AmazonのKindleが日本でも購入可能になり、EPUBが登場して、電子書籍が普及し始めた。
■2016年の電子書籍
現在はデジタルインキュナブラの時代だと思われる。デジタルインキュナブラとは私の造語。今の電子書籍は揺籃期のもので、完成には程遠いもの。
初期活版印刷本が写本に憧れていたのと同様、今の電子書籍は紙の本に憧れている。
新しい技術が生まれても、人はすぐには新しいものを作り出せない。今存在しないものを考えだすのはとてもむずかしい。そのため、人は新しい技術を用いて古いものの模倣品を作り出す。今の電子書籍はその段階。
価値観の変革には時間が必要。
■21世紀の本とは?
紙の本の価値観を捨て、新しい価値観に基づく本(電子書籍)を作り出す必要がある。
活版印刷の技術を活かした本を作り出すためには、写本が持っていた豪華な装丁・美しい彩色画・飾り文字などを捨てる必要があった。王侯貴族や教会などの権威の象徴でもあった写本にとって、豪華な装丁や彩色画・飾り文字は必要不可欠のものだったが、活版印刷を用いて大量生産を可能にするためには、過剰な装飾であり、不要なものだった。
写本の模倣品からアルドゥス・マヌティウスが作った活版印刷本にたどり着くためには、本に対する価値観を変革する必要があった。
紙の本から電子書籍へ進むためには、やはり価値観の変革が必要不可欠。
他者に先んじて価値観を変革できた人間が、21世紀の本を生み出せる。
果たしてそれは誰なのか、21世紀の本とはどのようなものなのか、まだ誰にもわからない。
21世紀の本・出版に進むためには、紙の本から何かの価値を捨て、新技術によってもたらされる新しい価値を付加する必要がある。
変革を起こすための2つの流れが考えられる。1つは、Webに機能を追加する方向。テッド・ネルソンが構想したハイパーメディアに存在した著作権管理の仕組みとそれに連動した印税支払いシステムを何らかの形でWebに付加する。もう1つは現在の電子書籍(Kindle・EPUB)を進化・発展させる方向。紙の本の模倣をやめ、電子化・ネットワーク化による利便性を付加する。
あるいはこの2つの流れが合流して新しい本が生まれるかもしれない。
■Alan C. Kayの言葉
ようするに、未来を予測する暇があるなら新しい何かを作れということ。
30年間出版の世界で生きてきて、1年半前、突然出版社であるKADOKAWAをやめてIT企業であるドワンゴに転職した。IT企業で編集者がなにをするのか? おおいに戸惑ったし、今も違和感を覚えている。
現在は、エンジニア・プログラマに囲まれながら粛々と紙の本を作っている。
しかし、このまま終わったのではドワンゴに転職した意味が無い。編集者の自分だけでは無理でも、ドワンゴのエンジニアの力を借りれば、新しい本の形を作れるかもしれない。
いつどんなものを出せるのかわからないけれども、編集者としてのキャリアの最後の仕事として、なにか新しいものを作りたいと思っている。
■参考文献