2017年1月14日土曜日

『「読まなくてもいい本」の読書案内』によるブックガイド

橘玲の『「読まなくてもいい本」の読書案内』を読んだので、感想とメモをまとめておく。

この本、タイトルは『「読まなくてもいい本」の読書案内』だが、実際には「読まなくていい本」はほとんど紹介されていない。紹介されているのは、当たり前の話かもしれないが読むべき本だ。他の読書案内本と異なっているのは、”こういう本は読まなくて良い”と、ばっさり切り捨てているところ。読むべきか・読まなくてもよいかの基準は、20世紀後半に爆発的に進歩した科学研究の成果に置いている。著者は、この時期に起きた科学研究の大幅な進歩を”知のビッグバン”、”知のパラダイム転換”と呼び、これ以前に書かれた本は(とりあえず)読む必要がないと言い切る。古いパラダイムで書かれた本は捨てて、新しいパラダイムで書かれた本を読もうという話だ。ちょっと乱暴な分け方ではあるが、1980年代に大学生だった私には案外納得できるものだった。学生時代に最先端の科学パラダイムとして友人たちと議論したようなものが、いくつもこの本には登場する。

読書案内ではあるものの、この本自体がそれぞれの理論の解説書にもなっているので、これ1冊読むだけで一通りの理解が得られる。それぞれの理論が生まれてきた背景や、理論を作り出した人物、過去の理論がどのように組み合わさって新しい理論が生まれたか、なども解説されているため、たいへんわかりやすいし、読んでいておもしろかった。とりあえずこれ1冊よんでおいて、さらに深掘りしたいテーマについては、紹介されている書籍をあたれば十分だろう。

では、以下メモ。

1. 複雑系

ポストモダンはデタラメだったねという話から複雑系へ。
マンデルブロによる正規分布とは異なるべき分布の研究の話。リーマンショックが起きたのは、市場が正規分布ではなくべき分布になるから。
マンデルブロが発見した「世界の根本法則」とは、複雑さにも秩序があるということ。
自然界の根本法則はフラクタル。フラクタルとは、自分を複製する自己相似によって自己組織化し、複雑さを生み出すこと。そこには必ずべき分布がある。
マンデルブロはフラクタルを数式ではなくコンピュータグラフィックスで表現した。フラクタル幾何学、マンデルブロ集合。
自分を自分に取り込むことをフィードバックという。単純な規則から複雑な組織が生まれるのはフィードバックを繰り返すから。
マンデルブロはフラクタルが自然界だけではなく人間社会をも支配していると考えた。
フィードバックによって自己組織化するネットワークは複雑系と呼ばれる。
複雑系は自転車の車輪のようなハブ&スポークの構造になっている。
ハブ&スポーク型のネットワークの特徴は、離れているように見えても実際は近いということ。これが複雑系のスモールワールド。
フィードバック効果によってハブができれば、どんな組織でも同じ構造になる。
世界はネットワークで、それを動かしているのはハブ。
マンデルブロは複雑系という言葉は使わず、ラフネス(複雑さ)という言葉を使う。
カオスとフラクタルは同じものだが、科学者の功績争いの結果別のものになってしまっている。

2. 進化論

進化とは、遺伝的変異と自然選択で繁殖度(包括血縁度)を上げることによって、生物が環境に適応するよう多様化する過程のこと。
進化論はものすごく単純な理論、だからこそ強力。
自然選択の原動力は、できるだけ多く血縁(自分と同じDNAを持つもの)をつくること。これを包括適応度という。
生き物は包括適応度を最大化するように進化する。
遺伝子は、自分と同じ遺伝子をできるだけ多く複製するように進化する。
すべての生き物は、遺伝子を後世に引き継がせるための遺伝子の乗り物。利己的な遺伝子
生き物は「遺伝子のコピーの最大化」というゲームを行うプログラム。
ゲーム理論より、進化は遺伝子の複製を最大化する合理的な戦略だけを選択していく。これを進化的に安定な戦略(ESS/Evolutionarily Stable Strategy)と呼ぶ。
遺伝学と結びつくことで、生き物の生態を数学的に記述できるようになった。社会生物学、理論生物学
さらにゲーム理論を拡張し、経済学を導入した。進化生物学
経済学における効用はお金、生物学の効用は遺伝子の数。
生き物の戦略は遺伝子という効用の最大化。したがって、生態系は投資や市場取引として経済学的に説明できる。
社会生物学がその対象をヒトまで拡大した。→社会問題となる。
心や感情も進化によって生まれた。進化心理学
進化心理学は進化生物学の直径で、進化論の心への拡張。
感情も進化の過程でつくられ、遺伝的にプログラミングされている。
ゲイの乱交とレズビアンの一婦一婦制は、男性と女性の進化論的な戦略の違いが純化した結果。
進化論は行動経済学やビッグデータ、脳科学と結びついて強力なマーケティング技術を生み出している。

3. ゲーム理論

ゲーム理論は、自然界や人間界で起こるさまざまな相互作用(対立と協調)を数学的なゲームとして説明する。
ゲーム理論では、現在の戦略をどちらも変更する余地がない状態を均衡という。
ゲーム理論でのシグナリングとは、相手に自分の意図を言葉ではなくシグナルで伝えること。
ゲーム理論はフォン・ノイマンがポーカーを数学的に分析しようとして考えだした。
ゲーム理論でのコミットメントとは、相手に「どんな犠牲を払っても実行する」と信じさせること。
ゲーム理論では、利害関係のある相手と取引をする状況を戦略的環境とし、そのなかで最適な戦略はなにかを考える。これが均衡。
均衡では、自分も相手も現状より多くを獲得できないという意味でお互いに満足している。
均衡は平等とは限らない。不公平なことのほうが多い。
均衡がみんなにとって最適になるとは限らない。
どんなゲームにも必ず1つは均衡があるし、複数あることもある。
ナッシュ均衡とは、他のプレイヤーの戦略を所与とした場合、どのプレイヤーも自分の戦略を変更することによってより高い利益を得ることができない戦略の組み合わせのこと。
ゲーム理論はポーカーの数学的分析を経済学に応用しようとしてはじまった。
ゲーム理論は、戦争の戦略や生き物の生態の説明に圧倒的な力をみせた。
ゲームの必勝法は、自分の情報を相手に与えず、相手の情報だけを手に入れること。
進化心理学を取り入れることで、行動経済学がうまれた。
ファスト思考=直感、スロー思考=理性
行動経済学は人間の不合理についての理論。
人間は、数学的合理性と進化論的合理性を使い分けている。
進化論的には合理的だが数学的には不合理な行動を取る人間をモデルにつくられたのが、行動ゲーム理論。従来のゲーム理論を拡張したもの。
ゲーム理論が強力なのは、この世界がゲームの集合体だから。
統計学の最大の特徴は、理論がなくても正しい答えを導けるところ。
統計データの解析からまず正解を発見し、なぜそうなるのかはあとから考えればよい。
近代経済学は、行動ゲーム理論と統計学(ビッグデータ)によって書き換えられつつある。

4. 脳科学

デカルトは、主観(意識の還元)と客観(脳の還元)の対立という近代哲学最大の難問にたどり着く。これは「心身二元論」「心脳問題」と呼ばれるもので、現代に至るまで解決されていない。
近代科学の最大の武器は還元主義。
ニューロンの仕組みは解明されている。そこで生じるのは物理現象。この物理現象が大量に生じると、なぜ意識が生まれるのか? 心脳問題の最高の難問。
クオリアとは生の実感のこと。心脳問題は、デジタルな情報交換からなぜクオリアが生じるのか、と言い換えることができる。
ヒトの判断には理性よりも感情が圧倒的に大きな影響力を持つ。
心というのは、視覚・聴覚・触覚などによって外界を認識する機能のことではない。知覚にクオリアが伴ってはじめてヒトは生きていると意識することができる。
意識が成立するには、データの量だけではなく、それがどのように統合されているかが重要。
コンピュータが意識を持たないのは、プログラムが逐次処理されていて全体が統合されていないから。
鳥や哺乳類は、脳内のデータ量はわずかでもネットワークが統合されているため、その複雑さに応じて意識を有している。
情報統合理論では、意識はヒトだけが特権的に持っているのではなく、ネットワークに固有の性質。
トラウマ理論はデタラメ。
フロイトの理論の大半はデタラメ。
矛盾する認知に直面した状態を認知的不協和と呼ぶ。この状態になると自意識は自己正当化を行う。自己正当化は無意識下で行われるので、自分の嘘に気がつくことはない。
進化心理学では、心はシミュレーション・マシンと考える。
シミュレーションとは、コンピュータのif...then...プログラムのこと。
ヒトは生きている限り、if...then...の思考をひたすら繰り返している。
瞬間的な判断はすべて無意識が決めていて、自由意志などというものはない。
脳のネットワークは単純な規則から自己組織化する複雑系のスモールワールドで、その複雑性から意識が立ち上がってくる。
ニューロンから意識に至る過程にも、個人から市場や社会に至る過程にも、あらゆる場面で進化や遺伝の力が働いている。
遺伝学、脳科学、進化心理学、行動ゲーム理論、行動経済学、統計学、ビッグデータ、複雑系などの新しい知は、進化論を土台として1つに融合し、ニューロンから意識、個人から社会・経済へと至るすべての領域で巨大な知のパラダイム転換を引き起こしている。

5. 功利主義

トレードオフがある以上すべての人が満足することはありえないから今より状況が改善できればそれでいい、こういう考え方を功利主義という。
哲学者ジェレミ・ベンサムが言い出したことで、最大多数の最大幸福の原理として知られている。
功利主義の特徴は幸福が計算可能だと考えること。この数えられる幸福が効用で、効用を最大化するのが功利主義。
功利主義と経済学とは一体のもの。
二人でパイを分けるときに最大多数の最大幸福を実現するには、1.パイを大きくする、2.パイを全員が満足するように分ける、3.ゲーム理論を使って最適なルールを決めれば良い、という3つの原則が導き出せる。こういう考えを設計主義という。
功利主義にも何らかの正義の基準が必要。
正義は娯楽である。ヒトは正義の行使を娯楽=快楽と感じるように進化してきた。
正義とは、進化の過程のなかで直感的に正しいと感じるようになったもののこと。
ヒトには自由・平等・共同体の正義感覚がある。ここから3つの政治的立場が生まれる。1.自由を求める自由主義、2.平等を求める平等主義、3.共同体を尊重する共同体主義。
自由主義・平等主義・共同体主義の3つのほかにもう1つ存在する政治思想が功利主義。
功利主義の大きな特徴は、他の3つの主義とは異なって進化論的な基礎付けを持たないこと。
政治思想を理解する出発点は、すべての理想を同時に実現することはできないというトレードオフ。
自由を追求すると必然的に格差は大きくなる。それを平等にしようとすれば国家が徴税などの暴力によって市場に介入するしかない。自由を犠牲にしない平等はありえない。
正義についての政治的対立とは、みんなの間で幸福と不幸をどのように分配するのかという問題のこと。
ロールズの格差原理:社会的・経済的な不平等が許容できるのは、もっとも不遇な立場の人の利益が最大化されているときだけだ。
センの人間の安全保障:すべての人に最低限の機能が分け与えられ、潜在能力を発揮できるようになること。
センは効用ではなく機能と潜在能力を基準にして公平ではなく衡平な社会をつくるべきだという。
衡平とは、ひとびとの機能や潜在能力が等しくなり、釣り合いのとれた状況のこと。
社会をより良いものに設計しようとすることをマーケットデザインという。
パレート効率性:誰かの効用を犠牲にしなければ他の誰かの効用を高めることができない状態。
いいかえると、誰の不利益にもならずに今より幸福になれるなら、それは皆にとってもいいことだ。
個人合理性とは、抜け駆けができないという基準のこと。
対戦略性とは、正直に伝えることが最もいい結果を生むような分配方法になっていること。
マーケットデザインでは、パレート効率性と個人合理性の両方の基準をクリアした分配方法をコアと呼ぶ。
マーケットデザインとは、市場の機能が使えないときにゲームを上手にデザインすることで市場と同じようなコアの分配を成立させる技術のこと。
社会選択理論における不可能性定理:どのような分配方法でも対戦略性を満たしたコアを実現することはできない。
最適な分配を考えるときには、パレート効率性・個人合理性・対戦略性のどれか1つをあきらめなければならない。
マーケットデザインを使えば、市場でうまく扱えないものでも、市場取引と同様の効率的な分配ができる。
マーケットデザインを用いて法律をつくろうというのが世界の主流になっている。
個人の自由な選択を認めつつ、社会全体の効用を最大化するよう制度を設計すべき。
ナッジ:選択肢を奪ったりルールで禁止するのではなく、仕組み(デザイン)を変えることでひとびとをより良い選択肢に誘導していくこと。
Nudge:(ひじなどで)そっと相手を押す。
ナッジはパターナリズム、国家が生き方を教えてやるという上から目線。
これはバカの自由が最大限配慮されているので、リバタリアン・パターナリズム(自由主義者のおせっかい)と呼ばれる。
アーキテクチャは無意識の管理を目標とする、刑務所の一望監視装置。
アーキテクチャによる統治とは、テクノロジーを用いて物理的にひとびとの行動を制約することで紛争そのものをなくしてしまうこと。
自由主義(リバタリアン)・平等主義(リベラル)・共同体主義(コミュニタリアン)の全員を納得させることができるのは、そのすべてを包括する新しい功利主義しかない。
新しい功利主義は、話し合いよりもテクノロジーの活用を選択する。
シリコンバレーに生息する科学とテクノロジーの力で世界を変えられると信じる人達のことをサイバー・リバタリアンと呼ぶ。
サイバー・リバタリアンが思い描くテクノロジーのユートピアが唯一の希望?

2017年1月8日日曜日

ドレの旧約聖書・新約聖書

幼いころ通っていた幼稚園がキリスト教系で、月曜日の朝には礼拝堂に集まって神父様のお話を聞いたり、先生が紙芝居で見せてくれるキリスト教のお話なんぞを聞いて育ったせいか、昔からキリスト教には興味があった。一度きちんと聖書を読んでおきたいと思って何度か挑戦したのだが、今までは毎回挫折して途中で放り出してしまっていた。聖書の翻訳の言葉遣いが古くてわかりにくいし、どうにもつまらなくて読んでいられなかったのだが、今回、ようやく最後まで読み通せる聖書に出会ったので紹介しておきたい。それが、『ドレの旧約聖書』『ドレの新約聖書』だ。


楽園追放

この聖書の最大の特徴は、タイトルに「ドレの」とついているようにギュスターヴ・ドレのイラスト(版画)が前編にわたって掲載されていることだ。このイラスト(版画)が実にすばらしい! 生き生きとして、荘厳で、いつまでも眺めていたくなる。このイラストを見るだけでも、十分価値があると思う。文章は平易な現代語で、とても読みやすい。昔読んだ聖書で苦労したのがウソのようだ。


バベルの塔

で、読んだ感想なのだが、旧約聖書というのはユダヤ人の歴史を神話化してまとめたものだということがわかった。最初に出てくる創世記の前半に、天地創造・エデンの園・ノアの箱舟・バベルの塔などの有名な神話がまとまっていて、あとはほぼすべて中東の地におけるユダヤ人の戦乱と建国の歴史だ。もちろん神様は出てくるのだけど、歴史的な事実にあとから神様の話を突っ込んだんだろうなぁということが容易に想像できる。


キリスト生誕

新約聖書は、キリストの生誕から死、そしてその後の弟子たちによる布教活動をまとめたものだ。最後に出てくる黙示録が、ちょっと異質な感じ。キリストの教えは、逸話の中の例え話として出てくるものが多い。旧約聖書では神様自らが、あーしろこーしろ、この教えを守れ、と直接告げていたのだが、新約聖書ではキリスト(あるいは弟子)が語る例え話から教えを悟らせる(人によって解釈が変わる可能性がある)という形に変わっているのが興味深い。


最後の晩餐

旧約聖書というのはユダヤ教の聖書でもある。「旧約」というのは新約聖書を持つキリスト教徒だけの呼び方で、ユダヤ教徒にとっては単に聖書ということだ。旧約聖書に出てくる神は、あくまでもユダヤ人の神であって、他の民族の神ではない。なにせユダヤ人に土地を与えるために、そこに住んでいる他民族を殺し尽くし、財産を奪えとユダヤ人に命じたりするのだから、他の民族にとっては神どころではない迷惑な存在だ。ユダヤ人が旧約聖書を信じるのはわかる。なにせ、彼らのための神なのだから。わからないのは、ユダヤ人ではないキリスト教徒が旧約聖書を信じているということだ。旧約聖書を信じるなら、ユダヤ人以外の民族はユダヤ人に殺されるか、支配されるしか道がない。なぜこんな神をユダヤ人ではないキリスト教徒は受け入れられるのだろう?


十字架のキリスト

新約聖書を読めばこの疑問が解けるのではないかと思っていたのだが、なんとも納得できない気分だ。一応、キリストの死後ペトロという弟子に神が啓示を与えて、他の民族を受け入れるようになったという逸話はある。また、ユダヤ人の信徒の一部が他民族を受け入れることを咎め、これを弟子が説得する話もある。だが、それだけだ。これだけの話で、世界中のキリスト教徒が旧約聖書を読んで”神は偉大だ”と感じるようになるというのは、どうにも理解しがたい。まだほかに私が読み落としている何かがあるのだろうか?


ヨハネの黙示録

人の歴史として読み解くのであれば、ローマ帝国支配下にあったユダヤ人社会の権力者たちが保身のためにキリストを殺害し、さらに弟子たちにも弾圧を加えた。この弾圧から逃れ、キリストの教え・教会を維持・拡大するために、ユダヤ人以外の民族への布教が必要不可欠になったということだろう。新約聖書を読むかぎりでは、キリストの教えに選民的なものはないので、キリストの教えを伝えているだけなら何も問題はなかったはずだ。もし可能なら、当時どのようにキリスト教の布教をしていたのか、ぜひ知りたいところだ。また、現代の教会で旧約聖書に出てくる選民的な話をどのように信者に伝えているのかも、一度聞いてみたい。

私自身は、神や宗教というのは人間が創ったものだと思っている。無神論者というほど強いものではないが、少なくとも人間が創った宗教に出てくるような神は存在しないと考えている。
ここで述べてきたのは、そんな人間が聖書を読んだ感想だ。もしもキリスト教を信じる方で、この文章を読んで不愉快な思いをされた方がいたなら、お詫びをしておきたい。

さて、このドレのシリーズにはあと2冊、『ドレの失楽園』『ドレの神曲』がある。どちらもすでに購入済みなので、読むのが楽しみだ。まずは失楽園かな。

あと、ギュスターヴ・ドレのイラスト(版画)が掲載されている本のアーカイブがProject Gutenbergにあるので、リンクを張っておく。一見の価値があると思う。

Books by Doré, Gustave