2017年1月8日日曜日

ドレの旧約聖書・新約聖書

幼いころ通っていた幼稚園がキリスト教系で、月曜日の朝には礼拝堂に集まって神父様のお話を聞いたり、先生が紙芝居で見せてくれるキリスト教のお話なんぞを聞いて育ったせいか、昔からキリスト教には興味があった。一度きちんと聖書を読んでおきたいと思って何度か挑戦したのだが、今までは毎回挫折して途中で放り出してしまっていた。聖書の翻訳の言葉遣いが古くてわかりにくいし、どうにもつまらなくて読んでいられなかったのだが、今回、ようやく最後まで読み通せる聖書に出会ったので紹介しておきたい。それが、『ドレの旧約聖書』『ドレの新約聖書』だ。


楽園追放

この聖書の最大の特徴は、タイトルに「ドレの」とついているようにギュスターヴ・ドレのイラスト(版画)が前編にわたって掲載されていることだ。このイラスト(版画)が実にすばらしい! 生き生きとして、荘厳で、いつまでも眺めていたくなる。このイラストを見るだけでも、十分価値があると思う。文章は平易な現代語で、とても読みやすい。昔読んだ聖書で苦労したのがウソのようだ。


バベルの塔

で、読んだ感想なのだが、旧約聖書というのはユダヤ人の歴史を神話化してまとめたものだということがわかった。最初に出てくる創世記の前半に、天地創造・エデンの園・ノアの箱舟・バベルの塔などの有名な神話がまとまっていて、あとはほぼすべて中東の地におけるユダヤ人の戦乱と建国の歴史だ。もちろん神様は出てくるのだけど、歴史的な事実にあとから神様の話を突っ込んだんだろうなぁということが容易に想像できる。


キリスト生誕

新約聖書は、キリストの生誕から死、そしてその後の弟子たちによる布教活動をまとめたものだ。最後に出てくる黙示録が、ちょっと異質な感じ。キリストの教えは、逸話の中の例え話として出てくるものが多い。旧約聖書では神様自らが、あーしろこーしろ、この教えを守れ、と直接告げていたのだが、新約聖書ではキリスト(あるいは弟子)が語る例え話から教えを悟らせる(人によって解釈が変わる可能性がある)という形に変わっているのが興味深い。


最後の晩餐

旧約聖書というのはユダヤ教の聖書でもある。「旧約」というのは新約聖書を持つキリスト教徒だけの呼び方で、ユダヤ教徒にとっては単に聖書ということだ。旧約聖書に出てくる神は、あくまでもユダヤ人の神であって、他の民族の神ではない。なにせユダヤ人に土地を与えるために、そこに住んでいる他民族を殺し尽くし、財産を奪えとユダヤ人に命じたりするのだから、他の民族にとっては神どころではない迷惑な存在だ。ユダヤ人が旧約聖書を信じるのはわかる。なにせ、彼らのための神なのだから。わからないのは、ユダヤ人ではないキリスト教徒が旧約聖書を信じているということだ。旧約聖書を信じるなら、ユダヤ人以外の民族はユダヤ人に殺されるか、支配されるしか道がない。なぜこんな神をユダヤ人ではないキリスト教徒は受け入れられるのだろう?


十字架のキリスト

新約聖書を読めばこの疑問が解けるのではないかと思っていたのだが、なんとも納得できない気分だ。一応、キリストの死後ペトロという弟子に神が啓示を与えて、他の民族を受け入れるようになったという逸話はある。また、ユダヤ人の信徒の一部が他民族を受け入れることを咎め、これを弟子が説得する話もある。だが、それだけだ。これだけの話で、世界中のキリスト教徒が旧約聖書を読んで”神は偉大だ”と感じるようになるというのは、どうにも理解しがたい。まだほかに私が読み落としている何かがあるのだろうか?


ヨハネの黙示録

人の歴史として読み解くのであれば、ローマ帝国支配下にあったユダヤ人社会の権力者たちが保身のためにキリストを殺害し、さらに弟子たちにも弾圧を加えた。この弾圧から逃れ、キリストの教え・教会を維持・拡大するために、ユダヤ人以外の民族への布教が必要不可欠になったということだろう。新約聖書を読むかぎりでは、キリストの教えに選民的なものはないので、キリストの教えを伝えているだけなら何も問題はなかったはずだ。もし可能なら、当時どのようにキリスト教の布教をしていたのか、ぜひ知りたいところだ。また、現代の教会で旧約聖書に出てくる選民的な話をどのように信者に伝えているのかも、一度聞いてみたい。

私自身は、神や宗教というのは人間が創ったものだと思っている。無神論者というほど強いものではないが、少なくとも人間が創った宗教に出てくるような神は存在しないと考えている。
ここで述べてきたのは、そんな人間が聖書を読んだ感想だ。もしもキリスト教を信じる方で、この文章を読んで不愉快な思いをされた方がいたなら、お詫びをしておきたい。

さて、このドレのシリーズにはあと2冊、『ドレの失楽園』『ドレの神曲』がある。どちらもすでに購入済みなので、読むのが楽しみだ。まずは失楽園かな。

あと、ギュスターヴ・ドレのイラスト(版画)が掲載されている本のアーカイブがProject Gutenbergにあるので、リンクを張っておく。一見の価値があると思う。

Books by Doré, Gustave

2016年12月26日月曜日

"ひとり出版社"という働き方

『"ひとり出版社"という働き方』という本を読んだので、少しばかり感想を。

今から30年ほど昔、私が駆け出しの編集者だった頃、当時勤めていた編集プロダクションの先輩から「渡り歩いた出版社の数が一桁のうちは半人前」とよく言われた。当時は今のように転職が一般的ではなく、会社を変わるというのはよほどのことがなければ行わないのが普通だった。しかしどういうわけか編集者だけは、当たり前のようにコロコロ会社を変わっていた。若造だった私にはこれが不思議でならず、先輩編集者になぜそんなに会社を変わるのかと訪ねたことがある。その際、先輩編集者からこんな話を聞かされた。

「いいかい嘉平くん、編集者は自分が作りたい本を作るために会社に勤めているんだよ。自分が作りたい本が作れなくなったら、そんな会社に要はないんだ。だから、そうなったら自分が作りたい本が作れる会社を探して移るんだよ。そうやって、編集者は会社を渡っていくのさ。そうしているうちに、結局人が作った会社に勤めていたんじゃ自分が作りたい本は作れないことに気づくんだな。そうすると、編集者は自分で出版社を作るんだよ。日本の出版社のほとんどは社員が10人もいない零細企業だ。父ちゃん、母ちゃん、爺ちゃんでやっている三ちゃん出版社なんてのも山ほどある。それは、そういう理由だよ。嘉平くんも行き着くところまで行けばわかるさ。」

残念ながら私はまだ行き着く所まで行き着いていないけれども、この先輩編集者の言ったことが今はとてもよく理解できる。
今回読んだ『"ひとり出版社"という働き方』という本には、このように行き着いちゃった編集者が作った出版社と、出版とはまったく無関係に生きてきたのになぜか出版社を作ってしまった人の両方が登場する。どちらにも共通するのは、自分が作りたい本を作るために出版社を立ち上げたという点だ。それぞれに、出版に対する考え方も、やり方も、作る本も、すべてが違っているけれど、自分が作りたい本、信じる本を作って、なんとか会社を維持している。経済的には厳しいけれども、ひとりだからこそなんとかなるという世界がそこにはある。

いつのまにやら年をとり、私もあと4年もすればドワンゴを定年退職することになる。その後、どうやって生きていくべきなのか? 編集者として生きてきた人間にとって、ひとり出版社という生き方はとても魅力的だ。だが、前述の先輩編集者の話にはこんな続きがある。

「そうやって編集者は出版社を作るんだけどさ、だいたいすぐに潰れちゃうんだよ。で、しょうがないからまたどこかの出版社に潜り込むのさ。編集者っていうのは、そうやって生きていくんだよ。」

残念ながら定年後に作ったひとり出版社が潰れてしまったら、もう潜り込む会社はないだろう。我ながらつらい話だなぁ。

2016年12月3日土曜日

フランクフルト・ブックフェア2016

昨年(フランクフルト・ブックフェア2015)に続き今年もフランクフルト・ブックフェアに行ってきたので、簡単にレポートをまとめておきたい(すでに1ヶ月以上たってるけど)。


フランクフルト・ブックフェア会場入口

フランクフルト・ブックフェアは世界最大のブックフェアなわけだが、昨年その規模を大きく縮小して驚かされた。今年はどうなることかと、ちょっとドキドキしながら会場へ向かったが、展示スペース自体は昨年と同規模で特に縮小などはなかった。ただ、来場者数が明らかに減っているように感じた。初日の午前中などは展示会場がガラガラで不安になるくらいだったし、最終日直前の土曜日の午後にはブースを畳んでしまう出展社が目立ち、人もまばらな感じだった。私自身は実際に顔を合わせて商談・情報共有を行う機会は貴重だと思うのだけど、インターネットで連絡が取れるのだから必要ないと考える人や会社が増えているのだろうなぁ。

では、今年もいくつか出版社のブースを紹介していこう。


Wiley

Wileyは老舗の大出版社の1つ。相変わらずブースも大きい。このままがんばってほしい!


O'Reilly

安定のO'Reilly。いつもどおりのブース。


Pearson

Pearsonも昨年同様のブース。老舗だがずいぶんこじんまりとしてしまって寂しい限り。


Google Play

出版社以外にネット企業も出展している。これは、Google Playのブース。


Packt

IT系でもっとも野心的な出版社だと私が感じているPackt。ブースは質素だがやることは派手だ。オンデマンド印刷と電子書籍だけに絞って在庫リスクを一掃し、刊行点数を増やせば増やすだけ売上・利益が増えるという戦略を着々と進めている。数年後には1年に数千タイトルを刊行するつもりだとか!


No Starch

私の大好きなNo Starchのブース。こちらも安定していつもどおり。No Starchの創業社長であるポロックと話をすると幸せな気分になる。彼もITや技術が大好きで、自分が信じる本を作り続けている。彼のほうでもKaheiはわかってくれていると思っているようで、版権代理店の方によると私とのミーティングは他のミーティングに比べてやたらとポロックの話が長くなるのだそうだ。今回も約束の時間をすぎてもポロックの話が終わらず、やむなくもう時間だからといってミーティングを終わらせた。帰りがけにはTシャツとチョコレートまでお土産にくれた。ありがとう、ポロック!


Discover 21

日本の出版社ディスカヴァー・トゥエンティワンがブースを出していた。ちょっとびっくり。この会社は取次を通さず書店と直取引をしていたり、電子書籍にも初期から積極的に取り組んだり、過去には小飼弾さんをアドバイザーにしてフランクフルト・ブックフェアに乗り込んだりと、すごくユニークな出版社だ。ちょっと気になる存在。


MIT Press

マサチューセッツ工科大学(MIT)付属の出版社のブース。残念ながらコンピュータサイエンスの担当者がフランクフルト・ブックフェアに来ないため、ミーティングできず。


Elsevier

学術系出版社の老舗。ブースも大きい。

Taylor & Francis

こちらも学術系の出版社。CRC Pressというレーベルでコンピュータサイエンスの書籍を出している。


Cambridge University Press

ケンブリッジ大学付属の出版社。やはり担当者がこないためミーティングできず。


McGraw-Hill

こちらも老舗の大出版社だが昨年はブースを設けず、今年は一応ブースは出していた。がんばってほしいなぁ。


中国のブース

中国の出版社はどこも大きなブースを出していて勢いを感じる。数も多い。


日本のブース

日本はいつもどおり、こじんまりと。


レイマー広場

今回のフランクフルトは毎日小雨が降っているような状態で、あまり観光らしいことはしなかったが、一応レイマー広場には行ってきた。ただ、あまりにも寒かったのでビールは飲まなかった(笑)。


大聖堂のパイプオルガン

レイマー広場からいつものように歩いて大聖堂に入ったところ、偶然パイプオルガンの演奏が行われていてびっくり。ミサの練習だったのか、演奏者一人でもくもくと演奏していく。2時間近くも生のパイプオルガンの演奏を聞けるなんて、夢のようだった。素晴らしかった。

来年もフランクフルト・ブックフェアにはぜひ参加したいと思っている。これ以上縮小しないことを切に願っている。

2016年4月17日日曜日

15世紀の印刷革命から考える21世紀の出版

先日TechLION vol.25に登壇して「15世紀の印刷革命から考える21世紀の出版」という大仰なタイトルで話をしてきたので、その時の動画・スライド・発表用のメモをまとめておく。

まずは、YouTubeにあがっているプレゼンの動画。私の発表は、29:30くらいから。

次がスライド。ドワンゴのサービスであるニコナレにアップしてある。

最後に当日参照していた発表用のメモ。

■前置き
まず、印刷革命に関わる歴史はかなり複雑で、単純なものではない。さらに、資料が乏しく、よくわからないことも多い。文献によって意見がわかれているものもある。このため、今回お話するのは、あくまでも鈴木嘉平の視点から見た歴史の話でしかない。鈴木嘉平の主観で、枝葉を切り落とし、話を単純なストーリーにしているので、興味を持った方は自分で調べて欲しい。
また、今回はヨーロッパの本の歴史だけを取り上げるので、中国・韓国・日本などの話は無視する。印刷・出版の発展の仕方が違うので、同時に語るのは無理。

■簡単な本の歴史
紀元前3000年頃からエジプトでパピルスが使われるようになる。パピルスは葦に似た植物で作られたもので、いわゆる紙とは違うもの。折りたたみにくく、巻物として用いた。これらは、ギリシア・ローマでも用いられた。
2世紀から4世紀にかけて、冊子の形の本が作られるようになる。冊子には羊皮紙が用いられた。羊皮紙は、子牛や羊の革をなめして伸ばしたもので、光沢があり丈夫だった。羊皮紙は、中世まで広く使われた。
7世紀から15世紀にかけて、写本が作られた。
15世紀半ばに活版印刷技術が開発され、活版印刷本が作られるようになる。初期活版印刷本をインキュナブラと呼ぶ。
活版印刷は、15世紀末までにヨーロッパ中に広まり、以後500年に渡って栄えた。

■パピルスの巻物
パピルスに書かれた死者の書(エジプト)
パピルスの巻物を読む女性

■写本
豪華な装丁
文字も絵もすべて手書き

■写本の作成
写字生が書見台の見本を見ながら、一文字ずつ羽ペンで羊皮紙に書き写していく。間違えたときは、左手に持ったナイフでインクをこそげ落とした。苦行とも言うべき作業で、1冊の本を写すのに数ヶ月から数年を要した。写字生の多くは、修道院の修道士であった。

■写本の特徴
すべてが手作りで、文字は写字生が写し、飾り文字や彩色画は専門の画家が1ページごとに描いた。革を用いた装丁も、専門の職人が彫り物や箔押しなどをして豪華に仕上げた。
完成した写本の多くは判型が大きく、重さが20Kgを越えるものもあった。
1冊の写本の制作には数ヶ月から数年を要し、値段は現代の金額で数千万円もした。
写本を注文し、所有できたのは、教会・王侯貴族・大学などで、権威の象徴でもあった。
写本はすべて1品ものだった。
写本は、書見台に載せて読むものだった。神父が教会で説教を行う際には、書見台に聖書を載せ、信徒に向かってこれを読んで聞かせた。盗難を防ぐために写本は普段は鍵のかかる図書室に保管され、書見台に載せて説教を行う場合には鎖で書見台につないでおくこともあった。

■活版印刷の発明
1450年ごろにドイツのマインツでヨハン・グーテンベルクが活版印刷技術を発明した。
1454年に四十二行聖書を完成させる。最終的に180部を刊行したとされる。活版印刷を使ったわりには部数が少ない。写本同様の飾り文字・彩色画・豪華な装丁などを手作りで施していたためと思われる。
四十二行聖書は最初の活版印刷本ではない。それ以前にもグーテンベルクは活版印刷本を作っていた。今回はこれらの本については取り上げない。

■グーテンベルクの印刷機
テーブルの上に載せられた活字にインクを塗り、紙を載せ、プレス機で圧力をかけて印刷する。印刷機の元になったのは、ワインを作る際に葡萄を絞るのに使われたプレス機と言われている。

■四十二行聖書
上下2巻からなり、総ページ数は1200ページを越える。重さは1冊が7.5Kgもある。美しい彩色画・飾り文字が入れられ、装丁も豪華なもの。

■インキュナブラ
グーテンベルクの四十二行聖書以降1500年までに制作された活版印刷本のことをインキュナブラと呼ぶ。インキュナブラとはラテン語でゆりかごを意味する。
この時期の活版印刷本は、写本と見分けがつかないくらい豪華な彩色・装丁が施されていた。

■写本と四十二行聖書の比較
左が写本、右が活版印刷による四十二行聖書。見分けがつかない。
この時期、活版印刷本は写本に憧れていると言われた。

■アルドゥス・マヌティウス
アルダスとも言われる。グーテンベルクから約50年後に、アルドゥスは活版印刷本を刷新する。商業印刷の父とも呼ばれる。
1453年にトルコがコンスタンティノープルを占領し、ギリシア人学者の多くがヴェネチアに亡命する。アルドゥスは元学者で、ヴェネチアに印刷所を設け、亡命ギリシア人と協力してアリストテレスをはじめギリシア語の本を数多く出版した。

■アルドゥスの発明
本当にアルドゥスが発明したのかわからないが、そう言われているものを列挙した。
文庫本・ペーパーバックの元祖になったと言われる小型本を作った。
初期の活版印刷の活字は写字生の書いた文字の書体をまねたものだったが、活版印刷に相応しい繊細なイタリック体を生み出した。イタリック体を用いた本は、ヨーロッパ中で好評を博した。
10万部を越えるベストセラーを生み出した。
句読点を使い始め、ピリオドとコンマの父とも呼ばれた。
ページ番号を使い始めた。これによって、目次・索引などの作成が可能になった。

■印刷革命
書物の量産化によって、本を調べるために放浪の学徒となる必要はなくなった。かつての学者が一生を旅に費やしてようやく読むことができた書物を自分の書斎で数ヶ月の間に読むことが可能となった。
印刷の正確な複写能力は、算術・幾何・音楽・天文学等に多くの変化をもたらした。写本は不正確だった。
印刷術は、版を重ねることで絶えず書物を改良改訂することを可能にした。写本は写字生によって写される際に誤記が起こる可能性が高く、写し取られるたびに内容が劣化していった。
活版印刷は、西欧文明史における知的生活様式に最も急進的な変化をもたらした。その影響は人間生活のあらゆる部門におよんだ。
活版印刷が発明されたことにより、科学・文化・芸術が急速に発展し、ルネッサンスが加速され、宗教改革が起こった。この現象を印刷革命と呼ぶ。

■今何が起きているか
話を現代に移す。20世紀から21世紀にかけて、私達が生きている時代に何が起こったのか。
コンピュータが発明され、コンピュータを用いたワードプロセッシングやハイパーテキストなどの構想が生まれた。
パーソナルコンピュータが発売され、個人の知的生産に変化が起こった。
グラフィックユーザインターフェースを備えたパソコンとDTPソフトウェアの登場により、出版が身近になり、同人誌などを手作りできるようになった。
マイクロソフトが提唱したマルチメディアは、CD-ROMに文章・画像・動画・音楽をデータとして収め、これらをハイパーリンクで繋いだもの。文章中の人の名前をクリックするとその人のプロフィールが表示されたり、曲の名前をクリックするとその曲が流れたりするというものだった。商業的には大失敗。アスキーをはじめ多くの出版社が大赤字をだした。
マルチメディアの商業的失敗がトラウマになって、後の電子書籍ブームの際には多くの出版社が参入に二の足を踏んだ。
インターネットが一般に開放され、Webが生まれ、ブログが登場して、紙の本以外の出版が可能になった。ただし、出版関係者の多くは、Webを出版とは認めなかった。
AmazonのKindleが日本でも購入可能になり、EPUBが登場して、電子書籍が普及し始めた。

■2016年の電子書籍
現在はデジタルインキュナブラの時代だと思われる。デジタルインキュナブラとは私の造語。今の電子書籍は揺籃期のもので、完成には程遠いもの。
初期活版印刷本が写本に憧れていたのと同様、今の電子書籍は紙の本に憧れている。
新しい技術が生まれても、人はすぐには新しいものを作り出せない。今存在しないものを考えだすのはとてもむずかしい。そのため、人は新しい技術を用いて古いものの模倣品を作り出す。今の電子書籍はその段階。
価値観の変革には時間が必要。

■21世紀の本とは?
紙の本の価値観を捨て、新しい価値観に基づく本(電子書籍)を作り出す必要がある。
活版印刷の技術を活かした本を作り出すためには、写本が持っていた豪華な装丁・美しい彩色画・飾り文字などを捨てる必要があった。王侯貴族や教会などの権威の象徴でもあった写本にとって、豪華な装丁や彩色画・飾り文字は必要不可欠のものだったが、活版印刷を用いて大量生産を可能にするためには、過剰な装飾であり、不要なものだった。
写本の模倣品からアルドゥス・マヌティウスが作った活版印刷本にたどり着くためには、本に対する価値観を変革する必要があった。
紙の本から電子書籍へ進むためには、やはり価値観の変革が必要不可欠。
他者に先んじて価値観を変革できた人間が、21世紀の本を生み出せる。
果たしてそれは誰なのか、21世紀の本とはどのようなものなのか、まだ誰にもわからない。
21世紀の本・出版に進むためには、紙の本から何かの価値を捨て、新技術によってもたらされる新しい価値を付加する必要がある。
変革を起こすための2つの流れが考えられる。1つは、Webに機能を追加する方向。テッド・ネルソンが構想したハイパーメディアに存在した著作権管理の仕組みとそれに連動した印税支払いシステムを何らかの形でWebに付加する。もう1つは現在の電子書籍(Kindle・EPUB)を進化・発展させる方向。紙の本の模倣をやめ、電子化・ネットワーク化による利便性を付加する。
あるいはこの2つの流れが合流して新しい本が生まれるかもしれない。

■Alan C. Kayの言葉
ようするに、未来を予測する暇があるなら新しい何かを作れということ。
30年間出版の世界で生きてきて、1年半前、突然出版社であるKADOKAWAをやめてIT企業であるドワンゴに転職した。IT企業で編集者がなにをするのか? おおいに戸惑ったし、今も違和感を覚えている。
現在は、エンジニア・プログラマに囲まれながら粛々と紙の本を作っている。
しかし、このまま終わったのではドワンゴに転職した意味が無い。編集者の自分だけでは無理でも、ドワンゴのエンジニアの力を借りれば、新しい本の形を作れるかもしれない。
いつどんなものを出せるのかわからないけれども、編集者としてのキャリアの最後の仕事として、なにか新しいものを作りたいと思っている。

■参考文献

2016年4月4日月曜日

仮面ライダー1号

映画「仮面ライダー1号」を観てきた。なんといっても、藤岡弘が本郷猛を演じるというのだから観ないわけにはいかない。
ストーリーとか、いろいろ意見のある人がいるのもわかるけど、

  • 本郷猛が臭い説教をして
  • 変身して
  • ライダーパンチして
  • ライダーキックして
  • ノーヘルでサイクロンを乗り回して
  • レッツゴー!!ライダーキックがかかったから
すべてよし!
というわけで堪能しました。特に、レッツゴー!!ライダーキックがかかるとは思ってもいなかったので、イントロが流れ始めたときには叫びそうになった。
やっぱり仮面ライダーは最初のシリーズがダントツでいいと思う。
で、今日、最近加入したamazonプライムを見ていたら、見放題のビデオに仮面ライダー1シーズンがあるじゃないか!
まずい。いろいろやらなきゃいけないことが山積みなのに、観てしまいそうだ(笑)。
そういえば、ゴーストとかいうのも出ていたけど、あれはじゃまなだけだったなぁ。ゴーストなんか出さなければ、もっとおもしろくなったと思うのだが、どうなんだろう。年寄りの偏見?

2015年11月3日火曜日

Star Wars英和辞典は読める辞書

先日書店で棚のチェックをした際に、ちょっと気になってスター・ウォーズ英和辞典 ジェダイ入門者編スター・ウォーズ英和辞典 ジェダイ・ナイト編 を買ってきた。
どちらもStar Warsに出てくるセリフを例文にした英和辞典だ。ジェダイ入門者編が中学英語、ジェダイ・ナイト編が高校英語になっている。英和辞典なので、当然のことながら英単語がアルファベット順に並んでいて、意味の解説があり、例文が紹介されている。しかし、単語の意味の解説は最小限で、例文については、それがStar Warsのどのエピソードの誰のセリフか、また必要に応じてどんなシチュエーションで発言されたものかが解説されている。辞典というよりは例文集というべき本。
たとえば、areの解説には、下記のように「Are you all right? LUKE V だいじょうぶかい?(湖の怪物に吐き出されたR2を気づかって)」のようにイラスト入りで記されている。

まぁ、Are you all right?なんて英文はどうでもいいつまらないものだし、通常の辞書なら気にもならないが、逆さになったR2-D2と駆け寄るルークのイラストを見て、映画のシーンを思い出すと、このつまらない英文がちゃんと生きたセリフとして聞こえてくる。これはいい!
さらにこの辞典には、CLASSIC PHRASE、FORCE PHRASEとして、映画の名言をそのシーンの写真といっしょに紹介してくれている。これがまたいい。

デス・スターに遭遇したときのルークのセリフ!

もちろん、この名言も!

読み始めると次々に映画のシーンが目に浮かんできて、楽しくてついつい読み進めてしまう。普通の辞典や例文集はだいたいつまらなくて、すぐに読むのがいやになってしまうのだが、この本は違う。Star Warsファンなら楽しみながら全部読めるはずだ。日本語で覚えていたセリフが、英語でなんと言っていたかわかるだけでもすごくおもしろい。C-3POがR2-D2によく言っている「おまえのせいだ!」というセリフが"This is all your fault!"だということも初めて知った。まぁ、こんな英文は覚えても使うことはないだろうけど。w
この辞典、本当は受験を控えた息子の勉強用に買ってきたのだけど(父の影響で大のStar Warsファン)、父親の私が読むのに夢中なので当分息子はお預けだ。w

2015年10月25日日曜日

フランクフルト・ブックフェア2015


フランクフルト・ブックフェア会場

フランクフルト・ブックフェアは、毎年10月にドイツのフランクフルト・メッセで開催される世界最大のブックフェアだ。世界中の出版社が一同に集い、版権売買をはじめ、さまざまな情報交換などを行っている。
昨年は例のドタバタ騒ぎ(嘉平、編集やめるってよ)の影響で参加できなかったが、今年はドワンゴから参加できたので簡単なレポートをまとめておきたい。

二年ぶりにフランクフルト・ブックフェアに参加してなにより驚いたのが、ブックフェアの規模が縮小していたこと。アスキーに入って以来20年以上フランクフルトにかよっているが、ブックフェアの規模が縮小したのは初めてだ。正直、これには衝撃を受けた。IT関連の老舗の出版社も軒並みブースを縮小しているし、中にはブースを持つことをやめてしまった出版社まである。
最近では、出版市場の縮小が続いているのは日本だけで海外では持ち直している、あるいは成長しているといった報道も見受けられるが、フランクフルト・ブックフェアの現状を見、そして海外出版社の版権担当者と話し合った限りでは、相当厳しい状況が続いていると思われる。日本はさらに厳しい状況にあるわけで、暗澹たる気持ちになった。
そのような中で気を吐いているのが、台湾を含む中国系出版社だ。二年前よりもさらにブースの規模を拡大しており、存在感が増している。日本のブースが年々存在感が薄れていくのと好対照だ。


こじんまりとした日本ブース

私がミーティングを持った出版社から、いくつかブースを紹介しておこう。


ホール全景

ホール全体はこんな感じで、各社のブースを訪れてはミーティングを繰り返すことになる。IT関連の出版社はホール4と6に集まっていたので、会期中はこの2つのホールを行ったり来たりしていた。


Elsevier

Elsevierは学術系の出版社で、コンピュータサイエンス、数学などの良書をだしている。版権担当者が中国人に変わり、さらに北京に版権部門を移動したと聞いてびっくり。なんでも中国の版権購入数はものすごい勢いで増加しているそうで、日本なんか話にならないらしい。今でこそ日本人がノーベル賞を取ったとかいって喜んでいられるけど、10年後にはひっくりかえっているんじゃないだろうか。


Wiley

IT関連出版社の老舗の1つであるWiley。ここはIT関連では、唯一大型のブースを出していた。


Pearson

こちらも老舗のPearson。実にこじんまりとしたブースで、びっくり。世界に冠たるメディア・コングロマリットのブースには見えない。IT関連としては、Addison-WesleyやPrentice-Hallなどを要する重要な出版社だけにちょっと気になる。


O'Reilly

O'Reillyはいつもと変わらず。


No Starch

No Starchは、サンフランシスコにあるIT専門の独立系出版社だ。十数年前に英語圏で大手出版社による中小IT系技術出版社の買収合戦があったのだが、No Starchはどこにも買収されることなく、独立を保った数少ない出版社の1つだ。フランクフルト・ブックフェアには、いつも社長のポロックが自らやってきて今後の刊行予定について説明してくれる。ポロックが「我々は他社が作るような本は作らない。No Starchは、他社が決して出さないユニークな本を作る」と言い切っているように、No Starchの本はユニークなものが多い。
常に優しい微笑みを絶やさず、穏やかに語るポロックだが、一本筋の通った気概ある出版人だ。これからの時代は、No Starchのような特長のある小出版社こそが輝くのではないかと思うので、がんばってほしい。


Packt Publishing

Packtは2004年にイギリスで創業したIT専門の新興出版社だ。創業者のDavid Macleanは、出版人というよりはベンチャー起業家というべき人物で、Packt以前にWroxという出版社を起業し、これをWileyに売却した後にPacktを創業している。
Packtは出版社としては特異で、書籍を印刷・製本して倉庫に在庫し、これを書店に流通させて販売するという一般的なビジネスを行っていない。Webサイトに書籍のカタログを掲載し、読者から注文が入るとオンデマンド印刷で注文された数だけ印刷・製本して、これを郵送するという直接販売のみのビジネスを行っている。現在は、オンデマンド印刷で制作する紙の本に加えて電子書籍の販売も行っているし、Amazonには本を卸すようになっているようだ。
また、マネージメント部門はイギリスにあるものの、編集・レイアウトなどを行う部門はインドに置いてコストダウンを図っているのも特徴的だ。通常の出版社にとって、編集部門を言語の違う海外に置くなどというのは考えられないことだ。
独自のビジネス展開によって、Packtは創業以来成長を続けている。注目すべき出版社の1つだと思う。


コスプレしているドイツの若者

5日間の開催日のうち、土曜日と日曜日は一般公開されるため、会場を訪れる人が一気に増える。また、多くの若者達が会場の中庭のようなところでコスプレを行っている。この賑やかさは例年どおりで、お祭りとしてはまだまだ人気があるようだ。


フランクフルトの観光スポット、レイマー広場

今年のフランクフルトは気温が低く(最高気温が4度とか)、5日間のうちほとんどが雨、雨がやんでいてもどんよりと曇っているというあいにくの天候だったので観光らしい観光もしなかった。出版ビジネスの将来を考えると不安も多いが、来年はもう少し明るい話題の多いブックフェアになることを祈って、レポートを終わりたい。